清韻集・風韻集・同人集・繪硝子集より   和田 順子選
 

襟立てて内藤新宿より戻る         下鉢 清子

考へるかたちに枯れていぼむしり     北見 さとる

冬靄の立つときいつも夕ごころ       細川 普士子

そのかみの流刑や隠岐の帰り花      宮田 美知子

虎落笛ときに巧みな節廻し         長崎 友子

くわりんの実残して庭師帰りけり      波木井 洋子

新小豆亡夫にも銀の匙添へて       見田 英子

黄落の夕日の中や尼僧院          久保田 庸子

山茶花の花や偽りなき白さ         岩田 洋子

綿虫の飛んで近づく風鶴忌         平 嘉幸

菊さはに今も汲まれてつるべの井     古賀 幹子

世の賑はい確かめにゆく十二月      金田 美穂

暗がりにこけしのわらふ雪催ひ       谷中 淳子

立冬や寺門支へる太柱            山本 恭子

木犀の空持ち帰る乳母車          小林 千秋

 

                 上掲の作品について、一句鑑賞文をお寄せください。

                一句について200字以内、編集部宛て、FAX042-473-3632)にて

                お送りください。  掲載させていただいた場合、俳誌「繪硝子」を

        贈呈いたします。



選評一句  (同人集作品より)

      

             遊行柳どの一枚も刈田なる    倉橋 廣

    黒羽吟行会では、秋晴の「遊行柳」の元でゆっくりとお弁当を広げて過ごした。

  西行の和歌の跡を尋ねて芭蕉の詠んだ句は< 田一枚植て立去る柳かな>である。

 『おくのほそ道』に記されてある
「清水流るゝの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る」

そのままに、今はすっかり刈田となった畔にあった。

 芭蕉の見た風景が保存されていて嬉しい。  「どの1枚も」の把握がよかった。

 「刈田の中」を見つめて
得た表現であろう。                            

    

 選評一句  (繪硝子集作品より)
                   

             教会より高きものなし冬日和       志村 紗稚

  日本にもこういう風景はあるだろう。 しかし、イタリアかフランスの村に昔からある

教会のように思える。  村の中心の何かといえば皆の集まる場所が教会。

何処からも高々と見える教会は皆の誇りなのである。
冬日和は、穏やかな冬の晴天を

指している。
 小春日和と同じく冬の季語なのだが、小春日和には肌に感じる

暖かさがあり、冬日和には澄んだ冷たい大気を感じる。

 言葉を、季語を選んで使うことの大切さである。